投資家ケインズ-3 Investor Keynes

流動性選好 – 貨幣への投機的需要

ケインズは、一般理論で流動性選好(貨幣への投機的需要)を明らかにした。いわば貨幣を財サービスの取引のためではなく、資産として、貨幣を保有するものだ。

安全資産としての貨幣

株式や債券などのリスク資産の市場が極めて不安定で、先行きが見通せないとき、強気なマーケットだったとしてもバリュエーション(株価評価)が高い時がある。このようなとき、安全資産(リスクフリーアセット)として、貨幣の保有を増やす、貨幣を需要することがある。そして安全資産としての貨幣の出し入れは、投資の、資産運用の重要なポイントのひとつだ。

国債は安全資産ではない

ポートフォリオ理論では、安全資産として国債があげられることが多い。しかし、仮にデフォルトリスクがないとしても、長期国債には価格変動リスクがある(長期金利が上昇すると債券価格が下落)だろう。とてもリスクフリーとはいえない。したがって、安全資産というとき、それは短期国債になる。しかし、流動性において貨幣に勝るものはない。厳密にいえば、インフレ率により実質貨幣価値は変動するので、貨幣も完全なリスクフリーとはいえない。しかし、主要通貨の変動リスクは、株式や債券などに比べれば大幅に小さい。流動性に勝れており、実質的に貨幣に勝る安全資産はないといってよいだろう。

リスクオンとリスクオフ

市場の状況をあらわすのにしばしば、「リスクオン」、「リスクオフ」という表現が使われることがある。リスクオンというのは、強気で、リスク資産を積極的に買っていこうという市場。一方、リスクオフというのは弱気で、リスク資産の購入に消極的、ないし売却していこうという市場だ。リスク資産を売却して貨幣を保有する。つまり、貨幣はセーフハーバーの役割を果たす。当たり前の話のようだが、貨幣を投資対象として考えると、資産運用において投資の幅が広がる。

債券保有より現金保有 – 流動性選好

ケインズは、一般理論で流動性選好について次のように説明している

「利子率が一定水準にまで低下すると、ほとんどすべての人が極めて低い利子率の債券を保有するより、現金を保有しようとするようになる、つまり流動性選好が無限大になる」(第12章 流動性へのインセンティブ)

“after the rate of interest has fallen to a certain level, liquidity-preference may become virtually absolute in the sense that almost everyone preferes cash to holding a debt which yields so low a rate of interes” (CH12 INCENTIVES TO LIQUIDITY)

つまり、流動性選好とは「債券を保有するより、現金を保有しようする」ことを表す。ケインズは利子率との関係で、流動性選好を述べているが、資産として貨幣を需要するという点に注目したい。

流動性への狂信

もっとも、ケインズは、次のように言って「流動性への狂信」を批判している。

「このように専門的投資家は、ニュースや雰囲気など、群集心理が最も影響を受ける差し迫った変化に対処することが必要になる。組織された投資市場の必然的な結果として流動性を提供することになる。投資機関にとって流動性の高い有価証券を保有することが美徳であるとの原則になっている。しかし、正統的ファイナンスの原則のうちで、”流動性”への狂信ほど、反社会的なものはない」(第12章 長期的期待」

“Thus the professional investor is forced to concern himself with the anticipation of impending changes, in the news or in the atomosphere, of the kind by which experience shows that the massかい psychology of the market is most influenced. This is the inevitable result of investment markets organised with a view to so-caled ‘liquidity’. Of the maxims of orthodox finance none, surely, is more anti-social than the fetish of liquidity, the doctrine that it is a positive virtue on the part of investment institutions to concentrate their resources upon the holding of ‘liquid’ securities.” (CH.12 LONG-TERM EXPECTATION)

逆説的言い回し

ケインズの一般理論は、その序で記されたように、頭に浸み込んだ古典派経済学からの逃避であり、それを理論的に批判する形で書かれている。逆説的な言い回しが諸処に見られる。「長期的には我々は皆死んでいる」(In the long-term, we are all dead.)といいつつ、長期的投資を説く、株式市場を批判しながら、株式投資で大儲けをする等々。特にケインズは、古典派経済学の最高峰をリカードとし(その追随者とは異なり)、その論理的秀逸さ、完璧性、抜け目なさに舌をまいているところがある(その現実的妥当性を批判するにしても。ケインズは古典派経済学はスペシャルケースを扱ったものとし、それに対して自著を「一般理論」とした)。

“The comoposition of this book has been for the author a long sruggle of escape, …., from havitual modes of thought and expression. … The difficultiy lies, not in the new ideas, but in escaping from the old ones (= classical economics; kn-note), which ramify, for those brought up a most of us have been, into every corner of our minds.”(PREFACE)

リカードとケインズ

ところで、リカードは、証券引き受け人だったが、有価証券の投資で大儲けして、ギャトコムパークの大地主となった。アダムスミスの書を読み、経済学研究に打ち込んだ。リカードも経済学者であると同時に投資家でもあった。一般理論は、ケインズとリカード、天才経済学者の対決の書でもあるのだ(時代を超えた)。

To be continued.

By Kota Nakako

2023/03/07

 

 

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