新・利他の経済学-19 The New Economics of Altruism

資本 Capital

わかったようでわからないのが資本、および利子率です。資本について言えば、例えば、ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」の資本と、マルクスの「資本論」の資本ではその解釈、視点が大きく異なります。最近ではピケティの「資本」などもありますが、価値観と無縁ではありません。ロバード・シラーの行動経済学的アプローチもあります。

今日、利子率は、貨幣供給とともに中央銀行の政策変数です。もっとも、中央銀行がコントロールできるとはいえ、マクロのISバランス、物価水準などの制約をうけ無制限ではないといえます。

アベノミクスとともに日銀総裁に就任した黒田総裁による異次元の量的質的金融緩和で、日本の21世紀はデフレスパイラルから脱し、人口減少を乗り越え、一人当たりの豊かさを高める明るい将来展望を開いたと言えます。その意味で、アベノミクスは歴史的意義をもつ経済政策です。その異次元の量的質的緩和を可能にしたのが、家計・企業部門の貯蓄です。それは日本の民間部門の貯蓄(資本)を生かす政策であり、それがもたらす成長、特に一人当たりGDP(per capita GDP)の成長を可能にするものです。アベノミクスとはこの日本の強みを生かす、資本の梃子(てこ)を効かし、全体よりむしろ、国民一人一人が豊かになる経済政策なのです。

経済学のテキストでも資本、利子率には諸説が紹介されています。しかし、それらの諸説はそれぞれの前提で述べているため、かえって混乱する感があります。

J.M.ケインズは、「一般理論」で、古典派経済学は、利子率決定理論をもたない、ないし価格メカニズムが収縮的にはたらくため完全雇用で決定される利子率が「自然利子率」である、または所与の所得で決定されるのが利子率とするしかないが、それは循環論法である、との趣旨を述べています。誤解をおそれずいえば。

ケインズは、主として賃金の硬直性から不完全雇用均衡をモデルに取り込みました。そこでは利子率は国民所得を決定する内生変数であるため、所与の国民所得から利子率が導き出されるとするのは、循環論法であると述べています。そして、利子率は投機的需要を含む貨幣需要と貨幣供給から決定されるとの、利子率決定理論を示しました。それが流動性選好理論です。

J.M.ケインズは、デービッド・リカードの利子率理論を引き、リカードのみが循環論法におちいらず、利子率をとらえているとします。リカードは、利子率は貸付利率や貨幣供給や貨幣価値とは独立であり、それは資本の収益率(ケインズ流にいえば資本の限界効率)である、とします。

ここでは、J.M.ケインズの「一般理論」にしたがって資本についてみてゆきたいと思います。

資本とは利回りを生むもの

「資本は、その生涯にわたって当初のコストを上回る利回り(a yield over the course of its life)である。資本は生産的なものと表現するよりのぞましい。」(16章 資本の性質についての観察 p.213)

“It is much preferable to speak of capital as having a yield over the course of its life in excess of its original cost, than as being productive.”(CH.16 OBSERVATIONS ON THE NATURE OF CAPITAL, p.213)

資本(B/Sの貸方)と”利回りを生むもの(資産; B/Sの借方)”とは同じコインの表裏、バランスシートの左右である、ということが言えます。(KN注)

◎ 資本とは 生産的と いうも良し 利回り生むと いうはなお良し (経済学短歌) 

◎ 資本とは 利回りを生む ものをいう 資産の裏側 もとでなりけり (経済学短歌)

投資と資本

「投資とは、これまで明らかにしたように、固定資本、運転資本、流動資本などがあり資本装備を含むものである。その定義が異なるのは、投資と純投資の区別を除けば、これらのカテゴリーから1つまたはいくつかをを除いて定義することによる」(7章 「貯蓄と投資の意味」 p.75)

“Investment, thus defined, includes, therefore, the increment of capital equipment, whether it consists of  fixed capital, working capital or liquid capital; and the significant differences of definition (apart from the distinction between investment and net investment) are due to the exclusion from investment of one or more these categories.” (CH.7 THE MEANING OF SAVING AND INVESTMENT, p.75)

(ある期の)投資Iは、資本の増分ΔKとみなすことができます。(KN注)

◎ 投資とは 固定・運転 流動の 資本の投下 経済活動  (経済学短歌) 

◎ 投資とは ΔK(デルタケイ)とも 表さる 利回りを生み ISバランス (経済学短歌)

投資と貯蓄は社会全体では等しくなる I=Sバランス

「貯蓄と投資は、以上に明らかにしたように、社会全体では必然的に等しい額なる。同じものの別の様相に過ぎない」(16章 「資本の性質についての観察」 p.74)

“…Saving and Investment have been so defined that are necessarily equal in amount, being, for the community as a whole, merely different aspects of the same thing.” (CH.7 THE MEANING OF SAVING AND INVESTMENT, p.74)

つまり、マクロのI=Sバランスです。(KN注)

◎ マクロでは 貯蓄と投資 バランスす 同じコインの 表裏(オモテウラ)なり (経済学短歌)

◎ 資本こそ 需給はIS バランスと 知るは因果の 果とぞ知る良し (経済学短歌)

資本の限界効率  The Marginal Efficiency of Capital

「資本の限界効率は、資本性資産のその稼働期間に期待される年金(利息)の現在価値を、その供給価格(supply price)に等しくする割引率である。資本性資産の特定の種類にしたがって、それぞれの資本の限界効率がある。これらの限界効率のうち最大のものが、一般的な資本の限界効率となる」(11章「資本の限界効率」p. 135)

“More precisely, I define the marginal efficiency of capital as being equal to that rate of discount which would make the present value of the series of annuities given by the returns expected from the capital-asset during its life just equal to its supply price. This gives us the marginal efficiency of particular types of capital-assets. The greatest of these marginal efficiencies can then be regarded as the marginal efficiency of capital in general.”  (CH.11 “THE MARGINAL EFFICIENCY OF CAPITAL”, p. 135)

つまり、供給価格P、年金(利息)Qi (i=1,2,…n)、割引率(資本の限界効率)r とすると、

P=Q1/(1+r)+Q2/(1+r)2+…+Qn/(1+r)            (KN注)

◎ 資本(キャピタル)の 限界効率 毎年の 収益(シューエキ)今に 割引く率だ (経済学短歌)  

◎ 資本(キャピタル)の 限界効率 投資にて NPV(エヌヒピィヴイ)を ゼロにする率 (経済学短歌)  

◎ 資本(キャピタル)の 限界効率 資本(キャピタル)の 収益率を 示すものなり (経済学短歌)

◎ 資本(キャピタル)の 限界効率 資本(キャピタル)の 需要サイドを 示すものなり (経済学短歌)

◎ 投資こそ その水準を 決めるのは 資本需要と 資本供給 (経済学短歌)  

資本の限界効率と利子率

「資本の限界効率のスケジュールは、新規投資のための資金が需要される条件を表している。一方、利子率は資金が供給される条件を示している。我々の理論を完成させるために何が、利子率を決定するのかを知る必要がある。」(13章 「利子率の一般理論」 p. 165)

“The schedule of the marginal efficiency of capital may be said to govern the terms on which loanable funds are demanded for the purpose of new investment; whilst the rate of interest governs the terms on which funds are being currently supplied. To complete our theory, therefore, we need to know what determines the rate of interest.” (CH.13 THE GENERAL THEORY OF INTEREST, p.165)

「おおまかにいえば、利子率は資本の限界効率が、社会の心理的な貯蓄性向との相互作用によって決定される、とされている。つまり、新規投資をまかなう貯蓄需要が、社会の心理的な貯蓄性向にしたがって形成される貯蓄の供給と一致するように利子率は決定される、というのである。しかし、単にこれらの2つの要因で利子率が決定されると導き出すのは不可能である。では、何が利子率を決定するのだろうか。」(13章「利子率の一般理論」p.165-166)

“Broadly speaking, we shall find that they make the rate of interest to depend on the interaction of the schedule of the marginal efficiency of capital with the psychological propensity to save. But the notion that the rate of interest is the balancing factor which brings the demand for saving in the shape of new investment forthcoming at a given rate of interest into equality with the supply of saving which results at that rate of interest form the community’s psychological propensity to save, breaks down as soon as we perceive that it is impossible to deduce the rate of interest merely from a knowledge of these two factors. What, then, is our own answer to this question?” (CH.13 THE GENERAL THEORY OF INTEREST, p.165-166)

以上をグラフに示したのが下図です。(KN注)

◎ 資本(キャピタル)の 限界効率 スケジュールは 資本の需要(ジュヨー)を 示すものなり (経済学短歌)

◎ 投資量 決定するは 投資への 需要と供給 利子率がカギ (経済学短歌) 

利子率の一般理論  流動性選好

「利子率は、投資と貯蓄を均衡させる価格ではない。言い換えると、資源を投資へと向かわしめる需要と、現在の消費を控えようとするのを均衡させる”価格”ではない。それは、いまある現金の量と、富を現金の形で持っておこうという欲求を均衡させる”価格”である。」(13章「利子率の一般理論」p.167)

“The rate of interest is not the “price” which brings into equilibrium the demand for resources to invest with the readiness to abstain from present consumption. It is the “price” which equilibrates the desire to hold wealth in the form of cash with the available quantity of cash; ” (CH.13 THE GENERAL THEORY OF INTEREST, p.167)

「もしこの説明が正しければ、貨幣量は、流動性選好と共に、与えられた状況で、実際の利子率を決めるもう一つの要因である。流動性選好は、利子率が与えられたとき、大衆が保有する貨幣量を決定する可能性、または機能的性向である。もし、利子率がrなら、Mを貨幣量、Lを流動性関数とすると、M=L(r)となる。」(13章「利子率の一般理論」p.167-8)

“If this explanation is correct, the quantity of money is the other factor, which, in conjunction with liquidity-preference, determines the actual rate of interest in given circumstances. Liquidity-preference is a potentiality or functional tendency, which fixes the quantity of money which the public will hold when the rate of interest is given; so that if r is the rate of interest, M the quantity of money and L the function of liquidity-preference, we have M=L(r). This is where, and how, the quantity of money enters into the economic scheme.” (CH.13 THE GENERAL THEORY OF INTEREST, p.167-8)

これをLM曲線で説明すると下図のようになります。(再掲、KN注)

また、利子率が消費と貯蓄を決定する価格ではない、というのは利子率r が消費と貯蓄(=投資)の限界代替率MRScs ではない、ということになるでしょう。(下図、KN注)

◎ 貨幣への 投機的需要と 貨幣量 利子率決める 要因なりと (経済学短歌)

◎ 利子率は 消費貯蓄を 均衡す 価格でないと ケインズは説く (経済学短歌)

◎ 所得こそ 利子率決まり 決まるもの 利子率決定 理論が必要 (経済学短歌)

古典派の利子率理論 The Classical Theory of the Rate of Interest

「このように、古典派で用いられている関数は、利子率の変化にしたがって、与えられた所得から投資と貯蓄が変化する、ということになる。しかし、そこには利子率決定の理論は無い。それは(どこか他から)利子率が与えられたとき、所得水準はどうなるか、または、完全雇用所得水準において利子率はどうあるべきか、ということを言っているのである。」(14章「古典派の利子理論」p.181)

“Thus, the functions used by the classical theory, namely, the response of investment and the response of the amount saved out of a given income to change in the rate of interest, do not furnish material for a theory of the rate of interest, but they could be used to tell us what the level of income will be, given (from some other source) the rate of interest; and, alternatively, what the rate of interest will have to be, if the level of income is to be maintained at a given figure (e.g. the level of corresponding to full employment). (CH.14 THE CLASSICAL THEORY OF INTEREST, p.181)

「…以下の文章がマーシャルの『経済学原理』にある。<利子は、いかなる市場であれ、資本を使用したときに支払われる価格であり、その市場の資本への総需要が、その利子率において、供給される総ストック(資本)に等しくなる>」(14章「古典派の利子理論」p.175-6)

“…the following passage from his (Marshall’s) Principles: ‘Interest, being the price paid for the use of capital in any market, tends towards an equilibrium level such that the aggregate demand for capital in that market, at that rate of interest, is equal to the aggregate stock forthcoming at that rate’.” (CH.14 THE CLASSICAL THEORY OF INTEREST p. 175-6)

つまり、ケインズは古典派経済学は、利子率を決定する理論を持っていない、あるいは、完全雇用水準で決定される利子率が、資本への需要(投資)と貯蓄を一致(均衡)させる利子率、といっているに過ぎない、としています。完全雇用で決定される利子率は、自然利子率(natural rate of interest)と呼ばれているものです。(KN注)

古典派経済学は、自然利子率の決定理論しかもっていない、あるいは、利子率が所得水準を変化させる理論をもっていないことになります。ケインズは、利子率が、貨幣需要と投資(資本)需要に作用し、所得水準に影響を与えること、所得は利子率の関数でもあるとし、利子率決定理論を提示しました。それが、貨幣への投機的需要を考慮した流動性選好理論です。そして、(その後裔とは異なり)リカードは自らの理論の前提を明瞭に意識していたと述べます。(KN注)

「以下がリカードの『経済学原理』で述べられて利子率理論である。<貨幣の利子は、銀行が5, 3または2%で貸し付けるとかではなく、資本を投下することによる利益率によって規定されている。それは、貨幣量や貨幣価値とは独立している。…>」(「14章の補足」p. 190)

“The following from his ‘Principles of Political Economy (p.511) put the substance of Ricardo’s theory of the Rate of Interest: “The interest of money is not regulated by the rate at which the Bank will lend, whether it be 5, 3 or 2 per cent, but by the rate of profit which can be made by the employment of capital, and which is totally independent of the quantity or of the value of money….” (APPENDIX TO CHAPTER 14, p.190)

リカードは、(自然)利子率を、資本の利回り(収益率)であり、銀行の貸付利率や貨幣供給、貨幣価値とは独立である、とします。資本の限界効率(資本利回り)スケジュールは、資本の需要曲線を示しています。ケインズ流にいえば、リカードのみが利子率決定の循環論法から逃れており、(暗黙裡に前提とする)完全雇用経済での資本収益率が利子率である、と述べていることになります。(KN注)

◎ 古典派の 利子率理論 所得こそ 所与にて決まる 利子率なりと (経済学短歌)

◎ 古典派の 自然利子率 長期での 均衡利子率 完全雇用 (経済学短歌)

◎ リカードの 明晰なるは 利子率は 資本の利率 収益率なり (経済学短歌) 

リカードの冷徹な論理。しかし、それはある意味では現実から遠い。ケインズは、現実を直視し、主として賃金の硬直性に注目し、非自発的失業がある不完全雇用均衡をモデルに取り入れたゆえに、利子率決定理論を築くことに迫られた。循環論法を逃れるため。そして、実務家、投資家としてのケインズの体験、直感から貨幣への投機的需要をふまえた流動性選好理論を明らかにした、ということが言えるのではないでしょうか。リカードとケインズ、天才経済学者の対決。

by Kota Nakako

 

 

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