クレーのある部屋3 The Room with pictures of Paul Klee – 3

青(ブルー)の快楽 Ein Stubchen in Venedig. 1933

クレーの絵(プリント)を選ぶとき、色から入ることが多い。基本的に青(ブルー)が好きだ。色彩はまた季節とも関係する。最初にクレーを飾ろうとしたのは7月、夏である。青はいうまでもなく、空間を涼しく感じさせる効果をもつ。クレーのブルー系の色彩の絵をアフロのリストから物色する。そして気づいたことだが、クレーは実は暖色系、イエロー系の絵が多いということだ。数えたわけではないが、逆に言えばブルー系の絵は少ないように感じる。

クレーの絵の根底に、地中海的、南方の色彩への憧憬がある。それは確かだ。しかし、だからこそ、クレーの描いたブルー系の色彩の絵は貴重だ。

クレーはスイスのベルンに近いミュンヒュンブーフゼーに生まれた。詩人の大岡信は「クレー」(新潮美術文庫50)の解説で、次のように述べている。

「クレーはスイス人である。ドイツで長いあいだ暮らしたが、ナチスに追われて故国に帰り、そこで亡くなった。かれの絵には、じつにたくさんの都会の情景、また建物の絵が描かれているが・・・それらの都会や建物は・・・ふしぎなことにそれらは、スイスもドイツをもあまり感じさせない。むしろ中近東風であり地中海的である。私には、クレーの都会や建物は、かれのなかにあった南方へのイメージ、めくるめくような色彩と光と風と海への憧れの、はてしない変奏曲だったような気がする」

この観察にわたしも共鳴する。そして以下のように語る。

「クレーは20代のはじめころと30代半ばのころに、二度、忘れがたい『南方体験』をしている。最初はナポリその他のイタリア旅行、つぎのはアフリカのチュニジアへの旅行。この二度の旅行がクレーの芸術にとっていかに重要な意味をもち、転機となったかについては、クレーを語るほどの本には必ず書かれていることである」

わたしは、アフロのラインアップから、次の3点のブルー系の絵(プリント)をピックアップした。

Rocks at Night 1939

Blue night. 1937

Ein Stubchen in Venedig. 1933

この3つのブルー系の絵の中で、Rocks at Night (1939)が最もダークだ。Blue night. (1937)はスタンダードなブルー。Ein Stubchen in Venedig. (1933)は、パステルカラー系で、最も明るい。

クレーは1940年に60才でスイスのロカルノで死去する。南方体験で目覚めた、地中海的、北アフリカ的色彩への憧憬から、ある意味で開放され、多様で自由な創造力を発揮するようになっていった、ということも可能かもしれない。

わたしの青(ブルー)への渇望をもっとも満足させてくれる絵はどれか。

わたしは、クレーの青の絵(プリント)を飾ることによって、青から得られる快楽(効用)を最大化させようとする。

青(ブルー)の効用。仮に青の単色の絵があったとしても、そこで青の効用は最大化されないだろう。青の魅力を引き出す脇役が必要なのだ。ところどころに赤、茶、ピンクなどを配することによって、青の魅力を引き出す。クレーは当然のごとくにそれをしている。

わたしは選別の目を先鋭にしていく。ここからは、受け手の問題だ。クレーは、芸術家として、おそらく自らの創造性を発揮させようとして絵を描いていることは当然だろう。しかし、実はその絵の見る立場にたって創造しているはずだ。優れた芸術作品は、決して、芸術家の自己満足のためだけに創作されているのではないだろう。受け手の立場を必ず意識しているはずだ。むしろ、受け手の満足(効用)を最大化させようと想像力を振り絞っているのではないだろうか。だからクレーはおびただしい数の作品を生み出しているのだろう。

前掲書で、大岡信は次のように述べている。

「クレーが全生涯に描いた約9000点のうち、1500点が1939、40年の2年足らずのあいだに描かれている。死を目前にしてのこのような創造活動の爆発は、ほとんど類を絶しているとさえいえるだろう」

クレーは南方への憧憬から解放され、他者と向き合っている。他者の満足(効用)、快楽を最大化させる作品を創造する、そのために自らの想像力にむち打っている。それは芸術家としての本能であり、快楽といってよいだろう。

わたしは、「Ein Stubchen in Venedig. 1933」のXLのアフロプリントを選び出し、応接のスイートスポットに掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

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